2004年11月08日

神無月

「神無月」とは、旧暦の10月にあたります。
この月は、日本中の八百万(やおよろず)の神々(天津神も国津神も)が出雲の国に集まり、
他の地域には神様がいなくなってしまうという言い伝えからそう呼ばれるようになったそうだ。

そして、出雲は神々集まるので、「神在月」というようになったらしい。
実際、出雲大社では、旧暦の10月の11日から17日までの間で、 「神在祭」が行われる。

これと関連して、他の地域の神社では「神在祭」の前後に「神送祭」や「神迎祭」が行われるところがある。
posted by 月の風 at 22:57| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 神道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年04月18日

国津神

最近まで、国津神は祟り神だけと思いこんでいた。

国津神について、未だ持って明確な定義はないらしいが、葦原中国(あしはらなかつくに)(高天原と、黄泉の国の間にある人が住む世界)に初めから住む神々、または天津神やその末裔で葦原中国に住み着いた神々を指す。

ということは、国津神の一部は天津神である。
即ち、祟り神だけではない。

気になるのは、葦原中国に始から住んでいた神々だ。
どのような神々なのだろう。
posted by 月の風 at 19:49| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 神道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年04月09日

死と神

神とは目には見えないものとされている。しかし、目に見えないものを礼拝することは出来ないので、神を礼拝するために特定の物体を神とした。神道では、これを神体という。

古代、神は大木や巨岩あるいは山に降りられる(神が降りられた大木や巨岩あるいは山は神体となる。つまり神である)と考えられその周辺は神聖な場所とした。その後、そこに祭場を設けるようになり、雨風をしのぐ建物が建てられ神社となっていた。

神道では祖先を崇敬する信仰が基になっているため、氏族の始祖を氏神(うじがみ)として崇敬し、祖先を自分たちの守り神として崇敬する。
つまり、人は死後、先祖神となり、家族や親族を見守る神になるのである。

死んだもの=神である。ということは、人は死後、神社に祀られる。
これが神道の考え方ということになるわけだが、どのようにして、先祖神というものが始まったのだろうか。

なぜ、死が神になるのだろうか。
不思議な考え方だと思う。
posted by 月の風 at 01:54| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 神道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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